
中興俳諧の名家として与謝蕪村と共に名をあげられます。寛政三年(1791)に亡くなった墓碑が光念寺にあり、「船ばたや 履ぬぎ捨つる水の月」の辞世の句が刻まれています。
元文5年(1740)前橋藩の江戸藩邸に生まれました。しかしその後不身持の理由で姫路に移されます。しかしその姫路も追われ加古川にやってきましたが、当時の大庄屋「中谷慶太郎」の厚い庇護を受け、三眺庵(栗本庵)を建ててもらい、俳諧師として活躍します。その後はたぴたび句会を催し、句集を発行し、芭蕉の句碑を建立し、俳諧師として盛んな活動をします。
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