加古川一番街じけまち 寺家町商店街

加古川駅からほど近い商店街「加古川一番街じけまち」は、「寺家町商店街」として 古くから親しまれ、
みなさまの生活にいろどりを添えています。


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寺家町商店街の歴史
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寺家町商店街の歴史
町の起こりは、荘園時代にまでさかのぼります。当時、寺院の土地を管理する公文職を寺家と呼び、常住寺・鶴林寺等の寺家によって起こった町であると考えられます。

律令時代に山陽道として整備された大路が通り、その大路は江戸時代には西国街道と称されて、参勤交代の宿場町として寺家町は賑わっていました。

現在の「若松屋結納品店」の辺りにあった中谷家が参勤交代する大名の本陣として使われており、「人形店 陣屋」の東の位置する樹悳堂(じゅとくどう)は姫路藩の役所(陣屋)でした。
この樹悳堂は山脇邸として現存し、明治天皇が行幸の際御昼食を摂られた折にその名を拝受しました。

明治期には西国街道沿いに今の寺家町商店街としての体裁を整えました。

その後間口が狭く奥行きがある町屋の形態が連なる商店街は店毎に特徴のある品揃えで活況を呈しました。
寺家町に行くこと自体が娯楽とされ、商店街の北に建てられた「日本毛織加古川工場」の女性工員さん達も、仕事が終わると商店街を散策する日常でした。


特に年末ともなると、「誓分払い」と言う今の年末大売出しの期間が設けられ、加古川だけでなく近隣の町からも多くの買い物客であふれかえりのトイレにも困る人出となりました。



現在の寺家町商店街は「加古川一番街じけまち」として、明るいアーケードとタイルの街路を整え、近代的でありながら親しみのある商店街に成長しました。

人物
豊沢団平
本名「加古仁兵衛」。明治期に文楽三味線の名手として知られました。光念寺の裏通りパーキングの一角に「豊沢団平生誕の地」と書かれた石碑が立っています。

文政十年(1827)に寺家町で生まれ、幼少にして大阪に出た後浄瑠璃を習い三味線の名人に入門して修行を積んでいます。明治六年に文楽座の立三味線になり、同十七年に稲荷彦六座に移るころには、独特の力強い撥(ばち)音と華やかな曲風で「名人団平」として知られ、通称、「清水町の師匠」で通りました。


松岡青羅
中興俳諧の名家として与謝蕪村と共に名をあげられます。寛政三年(1791)に亡くなった墓碑が光念寺にあり、「船ばたや 履ぬぎ捨つる水の月」の辞世の句が刻まれています。

元文5年(1740)前橋藩の江戸藩邸に生まれました。しかしその後不身持の理由で姫路に移されます。しかしその姫路も追われ加古川にやってきましたが、当時の大庄屋「中谷慶太郎」の厚い庇護を受け、三眺庵(栗本庵)を建ててもらい、俳諧師として活躍します。その後はたぴたび句会を催し、句集を発行し、芭蕉の句碑を建立し、俳諧師として盛んな活動をします。